あの山を初めて意識したのは、いつのことだっただろう。
新幹線の窓から見えた、というわけではない。絵葉書や教科書の写真でもない。ただある日ふと、「富士山に、登れるものなのだろうか」と思った。漠然と、しかし確かに。
由布岳でブロッケン現象を目にしたあの朝以来、私にとって山は「見るもの」ではなく「行くもの」になった。九州の山々を歩くうちに、いつか視線の先が日本の最高峰に向いた。それは当然の成り行きだったかもしれない。
ただ困ったことに、富士山には「どこから始めたらいいかわからない」という独特の壁がある。情報が多すぎて、かえって動けない。しかも私は福岡にいる。東京の人間なら「バスで行けばいい」で終わる話が、九州から出発するとなると途端に霧がかかる。
この記事は、その霧を晴らすために書いた。
ルートの選び方から、飛行機とバスの乗り継ぎ、2026年から変わったルール、装備のこと——全部まとめて、順番に書く。読み終わる頃には、あなたの「いつか」がほんの少し「今年の夏」に近づいているはずだ。
最初に決めることは、たったひとつだ
何から始めるか。答えは単純で、「日付を決める」だ。
富士山は、いつでも登れる山ではない。登山シーズンは7月1日から9月10日まで。気象や残雪の状況によっては開始が遅れることもある。 この2ヶ月が、一年の全てだ。
問題は混雑だ。お盆前後の週末は登山者が集中し、初心者には特に過酷な時期になる。狙い目はお盆明けの平日か、9月上旬だ。人が少なく、空気が澄んでいて、何より静かに山と向き合える。
スマホのカレンダーに「富士山」と書き込む。中身はまだ何も決まっていなくていい。日付だけ先に押さえる。
不思議なもので、それだけで人は動き始める。青果売り場で「今週の木曜に筍フェアをやる」と決めた瞬間、仕入れも陳列も逆算で動き出す。山も同じだ。「いつか行く」は永遠に行かないが、「8月19日に行く」は準備が始まる。
吉田ルート、それだけ覚えれば十分だ
富士山には4つの登山ルートがある。吉田ルート(山梨県側)、富士宮ルート、須走ルート、御殿場ルート(静岡県側)だ。
初心者はどれを選ぶか。答えは一択で、吉田ルートだ。
吉田ルートは山小屋の数が最も多く、五合目・七合目・八合目には救護所もある。登山者数はダントツのNo.1で、登山道と下山道が分かれているため渋滞も起きにくい。 初心者にとって「山小屋が多い」とはどういうことか——それは、体調が悪くなったとき、天気が急変したとき、足が動かなくなったとき、すぐに逃げ込める場所があるということだ。
御殿場ルートは距離が長く標高差が大きい。山小屋もトイレも少ない。「玄人向け」という言葉はしばしば危険な誘惑を含む。最初は定番を選ぶ。チャレンジは、二回目以降でいい。
青果売り場でも同じことを言う。初めてのお客さんに珍しい産地のものは勧めない。まず定番を食べてもらって、気に入ってもらって、それからだ。
2026年のルール——知らずに行くと、五合目で止められる
ここからが本番だ。2026年の富士登山には、知らないと本当に困るルールがいくつかある。順番に整理する。
入山料は4,000円。全ルート・強制。
2026年も引き続き、山梨県側の「通行料」と静岡県側の「入山料」はともに1人1回4,000円だ。呼び名は違うが金額は統一されている。 任意だった時代はとっくに終わっている。
ゲートは午後2時に閉まる。
吉田ルートでは午後2時から翌午前3時までゲートが閉鎖される。1日の登山者が4,000人を超えた場合もゲートは閉じる。この時間帯に入山できるのは、山小屋に宿泊予約がある人だけだ。
2024年は午後4時閉鎖だった。しかし閉門間際に滑り込んで弾丸登山をする人が後を絶たなかったため、2025年から2時間早められた。2026年もこれが継続されている。
つまり実質、午後1時台には五合目に着いていなければならない。福岡からの移動を考えると、これは相当早い出発を意味する。ここは計画の中核に据えておく必要がある。
2026年から五合目で「装備チェック」がある。
これが今年の最大の変更点だ。
吉田ルートの五合目入口にて、防寒具・上下セパレート式の雨具・登山に適した靴、この3点の装備チェックが実施される。すべてを持っている人のみゲートを通行できる。
持っていなければ、入山できない。それだけのことだ。どれだけ遠くから来ていようが、飛行機代が何万円かかっていようが、装備がなければ五合目で止められる。スニーカーとビニールカッパで来て「なんとかなるだろう」は、2026年には通用しない。
静岡ルート利用者は「FUJI NAVI」登録が必要。
静岡県側3ルート(富士宮・御殿場・須走)から登る場合は、「静岡県FUJI NAVI」アプリへの事前登録が義務化されている。アプリをダウンロードし、登山日・氏名・宿泊有無を入力、入山料4,000円を決済、eラーニングでテストに全問合格すると、QRコード形式の入山証が発行される。これを当日五合目で提示する。
吉田ルートにこの義務は現在ないが、事前予約システムの活用は推奨されている。
山小屋は今すぐ予約する。
山小屋の予約は例年3〜4月ごろから始まる。人気の山小屋は受付開始直後に満室になることもある。 この記事を読んでいるあなたが夏に登ろうとしているなら、山小屋の予約は「今すぐ」の話だ。
すべての情報は、富士登山オフィシャルサイト(fujisan-climb.jp) で最終確認を。ネットの記事は古い。公式だけが正しい。
福岡から五合目まで——全ルートを順番に解説する
ここが、この記事で一番書きたかった場所だ。
「どうやって富士山まで行くの?」——この問いに、九州目線でちゃんと答えた記事が少なすぎる。
ルートA:静岡空港経由(富士宮ルート向け)
福岡空港から富士山静岡空港まで、フライト時間は約1時間30分。フジドリームエアラインズ(FDA)とJALの共同運航便が運航している。 「富士山に最も近い空港」の名の通り、天候がよければ着陸前の窓から富士山が見える。登山の前に、山が出迎えてくれる。
航空券は登山シーズン(7月中旬〜8月)に価格が高騰し、ピーク時には往復4万円を超えることもある。早期購入割引を使えば往復3万円以下で取れる場合もある。日程が決まったら即予約が鉄則だ。 
空港からは富士宮駅・新富士駅を経由して富士宮口五合目へのバスが出ている。ただし、吉田ルートを目指す場合はこのルートは遠回りになる。初心者に最もおすすめの吉田ルート狙いなら、次のルートBを選んでほしい。
ルートB:羽田空港経由・バスタ新宿(吉田ルート向け・王道)
吉田ルートを目指すなら、このルートが最もシンプルで確実だ。
福岡空港から羽田空港まで約1時間30分。そこから電車かバスで新宿へ向かい、バスタ新宿(新宿高速バスターミナル・新宿駅南口直結)から富士スバルライン五合目への直通高速バスに乗る。バスタ新宿から五合目まで約2時間30分、乗り換えは一回だ。
乗り換えが少ないことは、体力の節約だ。重い荷物を持ちながら複雑な乗り換えを繰り返す消耗は、登る前に始まっている。初心者ほど「シンプルな経路」を選ぶ理由がある。
ルートC:羽田空港経由・新幹線(富士宮ルート向け)
静岡県側の富士宮ルートを選びつつ、静岡空港の便の時刻が合わない場合の代替ルートだ。羽田から東海道新幹線で新富士駅へ向かい、路線バスで富士宮口五合目を目指す。
新富士駅は「こだま」のみ停車で本数が少ない。時刻表の確認は必須だ。
マイカー規制——クルマで五合目まで行けると思ったら大間違い
飛行機+レンタカーで登山口まで向かおうとしている人には、重要な注意点がある。
登山シーズン中は吉田ルートへのマイカー規制が実施され、自家用車での通行は禁止される。「富士山パーキング(山梨県立富士北麓駐車場)」に駐車し、そこから五合目行きのシャトルバスに乗り換えが必要になる。 
駐車料金は1,000円。シャトルバスは往復3,000円だ。 
つまり登山シーズン中は、クルマで行っても最終的に必ずバスに乗り換えることになる。「クルマで五合目の目の前まで」という計画は、最初から成立しない。
五合目へのバス——時刻だけは死守する
バスタ新宿から五合目への直通バスは開山期間中に集中的に運行される。河口湖駅・富士山駅からも五合目行きのバスがあり、往復きっぷは大人3,000円。スマートフォンのモバイルチケットでも購入できる。 
繰り返すが、ゲートは午後2時に閉まる。 山小屋の宿泊予約がない場合、遅くとも午後1時台には五合目に着いていなければならない。福岡を朝一番の便で出発する必要が出てくることもある。移動の時刻は、登山前日までに一度、頭の中で全行程を通しでシミュレーションしておくこと。
ツアーという選択肢——初回だけはこれが正解かもしれない
「全部まとめてお任せ」の選択肢もある。
サンシャインツアーなど複数の旅行会社が、福岡空港発(静岡空港経由)の富士登山ツアーを展開している。フライト・バス・山小屋宿泊がセットになっており、初心者でも迷わず登山口まで辿り着ける。
ツアーの最大のメリットは「山小屋予約と移動手段が一括で解決する」ことだ。山小屋の争奪戦も、複雑な乗り継ぎも、ガイドが一緒に歩いてくれることも——全部ついてくる。料金は1泊2日で2万円前後〜のプランが多い。
デメリットはスケジュールが固定されること。自分のペースを優先したい人には窮屈かもしれない。
ただ、私はこう思っている。初回だけはツアーで行く。二回目から自分で組む。それが一番賢い順序だ。ガイドがいれば高山病のサインも見逃しにくくなる。初めての山には、初めてなりの謙虚さがいる。
「福岡発・五合目着」を5ステップで整理する
ここまで読んで情報量に圧倒された人のために、シンプルに整理する。
ステップ1 福岡空港を出発(静岡行き or 羽田行き)
ステップ2 静岡空港着 or 羽田→新宿へ移動
ステップ3 バスタ新宿から直通高速バス、または新幹線で富士山麓へ
ステップ4 路線バス or シャトルバスで五合目へ(往復3,000円程度)
ステップ5 五合目に到着——午後1時台までに。ここから富士山が始まる。

装備と費用——省いてはいけないものだけ書く
費用の現実から。
入山料4,000円、山小屋宿泊費(1泊2食で1万円前後)、往復交通費(福岡発だと2〜3万円)、装備費を合わせると、福岡発の初回富士登山はトータル5〜7万円が現実的な目安だ。山のトイレはチップ制で1回200〜300円。100円玉を多めに持っていくこと。
装備で絶対に省いてはいけない3点。
2026年から五合目でチェックされる「防寒具・上下セパレートの雨具・登山靴」は、最低限の命綱だ。雨具はビニールカッパやポンチョは不可。上下セパレートのレインウェアが必須だ。服装は「レイヤリング(重ね着)」が基本で、五合目と山頂では気温差が約8℃生じる。
登山靴だけは、絶対に新品のまま富士山に持ち込まないこと。足に馴染ませずに突っ込んだ知人が、七合目で靴擦れリタイアをしていた。買ったら近所の坂道を何度か歩く。それだけでいい。
計画した人だけが、山頂に立てる
由布岳でブロッケン現象を目にしたあの朝、山が私に言ったような気がした。
「見たいものがあるなら、歩いてここまで来い」
富士山の山頂から見える景色が何を語るか、私にはまだわからない。でも、行かなければ永遠にわからない。
日付を決める。ルートを決める。飛行機を押さえる。バスを調べる。山小屋を予約する。装備を揃える——それだけのことで、3,776メートルの頂上に立てる。
計画した人だけが、行ける。
私の娘は「パパを富士山まで送って、そのあとママと私は富士急ハイランドで遊びよく」と言っていたので、それも楽しそうだと思い計画中だ。
あなたの「いつか」は、今年の夏に変えられる。
あとがき
あなたは今、この「いつか」をどのくらい本気で考えていますか。吉田ルートで行くつもりですか、それとも静岡側から登ってみたいですか。どんな小さな疑問でも、コメントで教えてください。一緒に考えます。


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