海の女王、山で暮らす——祖母山という問い

山の話

海の女王が、山の頂上にいる。

そういう話をすると、たいていの人は少しだけ眉をひそめる。まあ無理もない。こっちだって、最初から納得していたわけじゃない。ただ、どうも気になってしまったのだ。気になってしまったことには、たいていロクな結末が待っていないのだけれど。

それで私は、祖母山に登ることにした。

登山口を出たのは、朝だった。正確に言えば、朝と呼ぶにはまだ少し早い時間で、世界全体が「まだ本気出してませんよ」という顔をしていた。往復六時間。人間の一日の四分の一を山に差し出す計算になる。正気の沙汰じゃない、と言われても仕方がないが、山に登る人間というのはだいたいそういう計算が嫌いだ。

前日に見た棚田のことを、まだ引きずっていた。水が空を映していた。上を見ても空、下を見ても空。ああいう光景を見ると、人間は自分の位置を少しだけ見失う。でもそれは、悪いことじゃない。むしろ、だいぶマシなほうだ。

さて、祖母山だ。

この山は、こちらの都合をあまり考えてくれない。登れば登るほど、「それで、どこまでやれるんだ?」と試してくる。頂上付近では岩が露骨に意地悪をしてくるし、息は上がるし、足は文句を言い始める。

ただ、途中から妙なことが起きる。

しんどさが、しんどさじゃなくなる。

いや、正確には、しんどいままなんだけど、それを気にしている余裕がなくなる。足が動く。息が上がる。汗が出る。それだけだ。日常生活では、頭の中はいつもやかましい。未来のこと、過去のこと、だいたいどうでもいいこと。ところが山では、それが一枚ずつ剥がれていく。まるで安物のシールみたいに。

体が忙しくなると、脳みそは静かになる。

この仕組みを気に入っている。

この話をすると、友人は決まって同じことを言う。

「山登りの何が良いん?」

僕は言う。

「登ってみたら分かる」

これ、禅問答じゃない。本当にそうとしか言いようがないんだ。たとえば誰かが「恋って何がいいの?」と聞いてきたとして、どう説明する? まともな答えを用意している人間のほうが信用ならない。

山も同じだ。説明はできる。だが、それはだいたい的外れになる。納得したければ、自分で歩くしかない。

頂上に着いた。

そこには石の祠があった。小さくて、あまり愛想はないが、妙に存在感がある。こういうものは、だいたい長くそこにいる。人間よりも長く、たぶん文句も言わずに。

祀られているのは、豊玉姫。

海の女神だ。

ここで話がややこしくなる。なにしろ、海の女王が山の上にいるのだから。引っ越しの理由くらい聞かせてほしいところだが、神様はだいたいそのあたりを説明してくれない。

豊玉姫は、海神の娘で、竜宮に住んでいた。山幸彦と出会って、恋をして、結婚して、しばらく一緒に暮らした。そして別れた。

理由は、よくあるやつだ。

「見てはいけない」

彼女はそう言った。人間に対してその手のことを言うのは、あまり賢いとは言えない。人間は、見てはいけないと言われると、ほぼ確実に見る。

山幸彦も例外ではなかった。

彼は見た。

そして、すべてが終わった。

豊玉姫は、自分の本当の姿を見られた。海の生き物の姿。人ではない姿。それを見られた瞬間、関係は壊れた。彼女は子供を残して、海へ帰っていった。

こういう話を聞くと、「ひどい男だな」とか「かわいそうだな」とか、いろいろ感想は出てくる。でもたぶん、それだけじゃない。人間は、知ってしまう生き物だ。知らなければ続いていたものを、自分で終わらせる。

それでも、見てしまう。

頂上の祠の前で、私は少し考えた。

本当に、彼女は海に帰ったのだろうか。

だって、ここにいる。

山の上に祀られているということは、別の見方もできる。彼女はどこかへ消えたのではなく、場所を変えただけじゃないのか。もっと遠くて、でもよく見える場所に。

海の底より、山の頂上のほうが、たぶんよく見える。

自分の血を引く者たちが、どうやって生きているのか。

海の女王が山にいる理由なんて、本当は単純なのかもしれない。近くにいると壊れてしまうものがある。だから、少し離れる。それだけだ。

下りは、登りよりも現実的だ。夢が終わったあとの処理みたいなものだから。膝は痛くなるし、気も抜ける。それでも歩くしかない。途中でやめると、もっと面倒なことになる。

歩きながら、また棚田のことを思い出していた。水が空を映していた。何万年も前の火山が作った水が、今も湧いている。この土地は、だいたい全部つながっている。

神話も、例外じゃない。

恋して、見てはいけないものを見て、別れて、子を残す。それだけの話だ。でも人間は、その「それだけ」を何千年も繰り返し語る。たぶん、自分の話だからだ。

誰にでもある。

見なければよかったもの。

知らなければよかったこと。

それでも、時間は止まらないし、足も止まらない。

山を下りきる頃には、足は正直に疲れていた。靴の中で指が少しだけ抗議していたし、膝は今にもストライキを起こしそうだった。でも頭の中は、来る前よりずっと静かだった。

たぶん、それで十分なんだと思う。

山の上で、海の神に会ってきた。

誰に説明するつもりもないまま、そんなことをぼんやり考えながら、エンジンをかけた。

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