理由なんて、あとからでいい——山野井泰史という生き方

山の話

世の中には、やたらと理由を欲しがる人がいる。

「それ、なんのためにやってるの?」

「続けて意味あるの?」

「将来どうなるの?」

たいていは悪気があるわけじゃない。ただ不安なだけだ。

理由があれば安心できるし、説明できれば“ちゃんとした人生”に見える。

でも正直に言うと、その“ちゃんとしてる感じ”が、ぼくは少し苦手だ。

理由を並べて納得しているうちに、いちばん最初にあったはずの「好き」が、どこかへ消えてしまう気がするからだ。

山野井泰史という登山家がいる。

多くを語る人ではないし、自分を大きく見せることにも興味がなさそうだ。

ただ山に登る。それを何十年も続けている。

きっかけは、子どものころに見た一本のテレビ番組だったらしい。

山の映像に心を持っていかれた。それだけだ。

普通の人は、そこで一度立ち止まる。

「いいな」と思っても、現実に戻る。将来とか、お金とか、いろんなものを考える。

でも彼は、その“現実に戻る”という動きを、あまりしなかった。

あるいは、一度もしていないのかもしれない。

ちゃんとしない、という選択

彼の登り方は、いわゆる“ちゃんとしたやり方”ではない。

単独で、無酸素で、できるだけ誰も通っていないルートを選ぶ。

わざわざ難しいほうへ向かっていく。

普通なら、安全や効率といった言葉が頭をよぎる。

むしろ、それを考えないほうが不自然だ。

でも彼は、それを採用しない。

たぶん理由はシンプルで、「そのほうが面白いから」だ。

子どもみたいな答えに聞こえるけれど、

大人になるほど、その答えは口にできなくなる。

楽な道を選ぶことは、間違いではない。

むしろ賢い選択だと思う。

ただ、その選び方を続けていると、どこかで自分の中の“好き”が薄まっていく。

安全で、合理的で、間違いは少ない。

でも、そのぶん熱も少しずつ失われていく。

山野井泰史は、その感覚をよく知っているのかもしれない。

だから、うるさいくらいに一貫している。

山の延長にある暮らし

彼の生活は、きれいに説明できるものではない。

家の中にクライミングのホールドを取り付け、日常の中で体を動かす。

時間があれば岩場へ行く。

オンとオフの切り替え、ワークライフバランス、そういう言葉とは少し距離がある。

生活そのものが、山の延長のように見える。

仕事のために登るわけでもなく、評価のために続けているわけでもない。

むしろ逆で、山に向かうために生活がある。

効率よく見れば、あまり賢い生き方には見えないかもしれない。

でも、そのぶん無駄なブレがない。

パートナーである山野井妙子も登山家で、同じ世界を歩いている。

二人の関係はどこか静かで、同じ方向を見ている者同士の、無理のない関係だ。

無理に理解し合おうとしなくてもいい関係というのは、

実はかなり贅沢なものだと思う。

成功と失敗を分けない

彼の歩みは、順調な成功の連続ではない。

思い通りにいかなかった挑戦もあるし、引き返す判断をしたこともある。

でも面白いのは、それらを“失敗”として切り分けていないところだ。

成功と失敗を並べて語るよりも、

「それも含めて自分の登りだった」とでも言うような、一続きの感覚がある。

2021年、彼はピオレドール生涯功労賞を受賞した。

登山界では最高峰の栄誉のひとつだ。

けれど、その評価は「どれだけ成功したか」だけではなかった。

どんな選択をしてきたのか。

どんな姿勢で山に向き合ってきたのか。

つまり、「うまくやったか」ではなく、「どう生きたか」が見られていた。

言葉にすると簡単だが、それを実際にやり続けるのは面倒くさい。

ほとんどの人は途中で折れる。

理由なんて、あとからでいい

ぼくらは、すぐ理由を欲しがる。

それが正しいかどうか。

続ける価値があるかどうか。

損をしないかどうか。

全部、先に確認したくなる。

気持ちはよくわかる。

無駄なことはしたくないし、できれば失敗も避けたい。

でも、そのやり方で選んだものは、

思ったほど長くは続かないことが多い。

安全だけど、どこかで飽きる。

熱が足りないからだ。

ぼくがかもめのジョナサンを好きなのは、

あの物語がその逆をやっているからだ。

あのカモメは、ちゃんとした理由を持っていない。

ただ飛ぶことが好きで、もっと遠くへ行きたいと思っているだけだ。

群れから外れて、勝手に遠くへ行く。

正直、かなり扱いづらい存在だと思う。

でも、その不器用なまっすぐさに、どうしても惹かれる。

山野井泰史という人も、それに少し似ている。

説明できることよりも、説明しきれない衝動のほうを信じている。

たぶん人は、どこかで“ちゃんとすること”を覚えすぎる。

その結果、少しだけつまらなくなる。

だからといって、全部を捨てろとは思わない。

そんな勇気は、ぼくにもない。

ただ、もしまだ自分の中に、

「理由はないけど、なんか好きだな」という感覚が残っているなら、

それはできれば、そのままにしておいたほうがいい。

理由なんて、あとからいくらでもつく。

でも最初の“好き”は、

一度なくしたら、なかなか戻ってこない。

そしてたぶん、それだけが、

長い時間を歩いていくためのいちばん確かなものなんだと思う。

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